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執筆者の写真Takeshi Sekine

「私が経験した事業承継の全て」~あり得ない後継者選定~

今回から数回に渡り、私が経験してきた過酷な事業承継をご紹介していきます。本来であれば事業承継は、実務面も無理がないように計画的に行われるのが普通ですが、私の場合は全てが普通ではありませんでした。今回は、全体像と後継者選定についてです。





事業承継の全プロセス

私が経験した事業承継をロードマップにしたのが以下の図です。非常に短期間で、いろんな事をやっています。まさに突貫工事的な事業承継でした。



事業承継は、株式や資産などの引継ぎ、実質的な経営資源の引継ぎがありますが、本当に大事なのは後者の方です。私の場合、後継者となるか曖昧なままで、いきなり引渡されたという経緯があります。先代が存命で、健康状態も全く問題ない中、引継ぎなど一切なく、いきなり代表印と銀行印を渡されて引き継いだのです。



それはもう、大変でした。最初から手探りで、全て自分で考え、試行錯誤の連続で社長としての職務を行っていきました。


まー、本当に大変でした。。。




あり得ない後継者選定

私が社長職を引き継いだのは、2018年3月下旬です。当時、社内には弟が常務取締役として在籍しており、私は取締役副社長というポジションでした。普通にいけば、私が社長になるのが流れとしては自然ですが、創業者である父親はそういう考えでもなく、交代直前までどっちが社長になるのか、私に対しては、のらりくらりとしていました。更には、本人には自覚はないと思いますが、弟と私を競い合わせるよう煽る言動もしていました。

過去には、何度か「お前に社長は無理だ」という話をされていましたので、ひょっとすると社長になれない可能性はあるなと以前から感じていました。


本来であれば、さっさと、誰が後継者になるのか公に表明して事業承継を進めていくのが当事者、社員、会社の将来にとっても望ましいのですが、私の父はそうしなかった。


最終的にどうなったかというと、私と弟を同列の共同代表にしようとしたのです。しかし、想像つくと思いますが、このような経緯があって兄弟仲良く仕事ができるわけがありません。私は弟に対して特別の意識は持っていませんでしたが、弟は私を倒して自分が社長になりたいという意識が相当強かったろうと思います。社員や番頭からは度々、そのようなそぶりが見えるので策を考えるよう注意喚起されていましたが、私は全くそんなことを考える事もなく、ただ仕事に没頭していました。弟という立場を考えますと、確かに先に生まれた者が無条件で後を継ぐというのは理不尽な話だと感じる事でしょう。私も逆の立場だったら、何か考えていたかもしれません。


このまま共同代表として2名をトップにすれば、間違いなく会社はおかしくなります。なぜ、父親がそのことをわかっていながら、こんな事を考えたのか理解できないですが、創業家以外の取締役が父に対し、この体制は絶対に上手くいかない。私1人を社長にすべきだという進言をした結果、私が唯一の代表取締役になったのです。


父親にもいろいろな思いがあって、共同代表という形を考えていたのだろうと思いますが、会社の将来、社員の事を真剣に考えるなら、あり得ない構想でした。そして自分が、他の取締役の進言によって単独社長となった事も、正直なところあり得ないなと思っていました。

まず会社の将来、社員の将来、そして後継者候補の力量、人間性、適性、ポテンシャルを考慮して選定して欲しかったですね、私としては。私が経営者としてどうだったかというと、その後の業績がすべてを証明することとなります。


これは難しいところなのですが、創業者である父親は家と会社がセットになっていて、会社は家の資産であり、自分が作った所有物&資産なので、会社の将来や社員のことより、家の継承を重んじる考え方の人なため、このような考えが出てくるのです。これ以上の詳細は差し控えますが、同族経営の後継者選びは、単純に後継者の力量、人間性、適正など合理性だけで決まるものではないという事です。



私と同じような経験をされたアトツギの方もいるかもしれませんね。。。

創業社長というのは、時に凡人には理解できない事を考えるものです。






終わり



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